BOOKREVIEW
世界一周旅行というお守り


ポトスライムの舟
誰もが一度は目にしたことがある「世界一周クルージング」のポスター。わたしが初めて見たのは、大学生の頃。居酒屋のトイレだろうか。学校休めないし、そもそもお金をそんなに出せないぞって思いながら眺めていた記憶がある。
「ポトスライムの舟」では、主人公のナガセが職場でこのポスターを目にするところから始まる。新卒で入った会社を強烈なパワハラで退職し、働けない期間を経て、昼は工場勤務、夜は友人のカフェの手伝い、週末はパソコン教室の先生という「時間を金で売る」生活をしている29歳のナガセ。ふと目にしたポスターにある163万円という代金に釘付けになる。それは、ナガセの工場勤務の年収とほぼ同じだった。
「あんたの一年は、世界一周とほぼ同じ重さなわけね」
工場でのすべての時間を、世界一周という行為に換金することもできる。(中略)自分の生活に一石を投じるものが、世界一周であるような気分になってきていた。
— 「ポトスライムの舟」より
工場勤務の収入で、163万円を貯めようと決意して過ごした1年間をこの物語では描いている。実際に1年後本当に貯められたのか、ナガセは世界一周の旅に出たのか。それは読んでからのお楽しみ。ただこの本で伝えたいことは、そこにはないのだ。気づいたら職場と家の往復、同じような毎日を過ごしているところに、「世界一周」という選択肢が出来たら、どうなるだろう?今日からの1年間が「世界一周」に換金できるとしたら?
そこでふと思い出したのが、仕事に行き詰まった時に思い立ってドイツに住んでいる友人を一人で訪ねたこと。これは完全に衝動的で、貯めるという期間も経ずに実行してしまったのだが。
友人を頼って、突然訪れたドイツ。もちろん彼は昼間仕事で不在のため、一人で公園を歩き、ウィンドウショッピングをしながら、当てもなく街を彷徨った。夕暮れ時、自転車に乗ったサンタクロースが目の前を横切る。その瞬間、日常の枠を超えた異世界に迷い込んだような感覚に包まれた。そして、こうした非日常へ飛び込む自由が、自分の手の中にあることを実感した。あの仕事は辞めたけれど、それからも私は何かしら働いている。それは、いつでもふらりと旅に出られる自分でいるためだ。