本の読み方には、大きく分けて二つある。
気になる本を次々と開き、少し読んでは別の本へ移っていく「乱読」。
一冊の本にじっくり向き合い、言葉の意味を確かめながら読み進める「精読」。
私は、どちらかといえば精読派だ。
気になる本を何冊も並行して読むより、一冊の本をじっくりと読みたい。登場人物の言葉に引っかかれば少し戻り、よくわからない一文に出会えば、しばらくそのページにとどまる。気づけば、数ページしか進んでいない日もある。
移動が多いので、最近は少し読んでは本を閉じ、電車に揺られながら、いま読んだ部分について考えることも多い。
気がつけば、かもめ書店で短歌の本がずいぶんと幅を利かせているのも、そんな読み方のせいかもしれない。きっとそうだ。
SNSで次々と本の感想を投稿している人を見ると、たくさんの本が読めて、少しうらやましくなる。次から次へと新しい世界に出会い、いろいろな知識をつないでいく。乱読には、知らない町を気の向くまま歩くような楽しさがあるのだと思う。
私には、トレース癖があるとよく言われる。
旅先でも、つい同じ道を何度も歩いてしまう。昨日見つけた喫茶店の前をもう一度通り、同じ角から同じ景色を眺める。すると昨日は気づかなかった看板や、窓辺の花が見えてくる。
本を読むときも、それに似ている。
一度目は物語を追うだけだった文章が、二度目にはまったく違う顔を見せることがある。何気なく読み過ごした言葉が、その日の自分の気持ちに触れ、急に大切な一文になることもある。本の内容が変わったわけではない。読む自分が、少し変わったのだ。
そうやって本をゆっくり読むと、一冊の本と長く付き合うことになる。読み終わるまでに季節が変わったり、鞄の中で表紙の角が少し丸くなったりする。本棚に戻したあとも、ふとした瞬間に一節を思い出す。いつの間にかその本は、読んだ本というより、一緒に過ごした本になっている。
急がず、比べず。精読とは、たくさんを手に入れるための読み方ではなく、ひとつのものを大切にするための読み方なのかもしれない。
今日も私は、読みかけの本を閉じる。
続きへ進むためというより、またここへ帰ってくるために。