色鉛筆画を見ていて、ときどき困るものがある。
近くで見れば、たしかに鉛筆の線がある。紙のざらつきも残っている。それなのに少し離れて見ると、写真のように見える。水面の光や、建物の影、果物のつやまで、どうして色鉛筆だけでここまで描けるのだろうと思う。
特別な色鉛筆を使っているから、というだけではない。もちろん道具によって発色や描き心地は変わるけれど、リアルな色鉛筆画をつくっているのは、むしろ色の置き方や重ね方、そして「何を描いて、何を描かないか」という細かな判断の積み重ねだ。
完成した一枚だけを見ると魔法のように思えるが、やっていることをひとつずつ見ていくと、意外と地道である。
最初に描くのは、色ではなく明るさ。
写真のような絵を描こうとすると、つい「この部分は何色だろう」と考えてしまう。でも、その前に見なければならないものがある。明るい場所と暗い場所だ。
たとえば赤いリンゴを描くとしても、全部を同じ赤で塗れば平らな丸に見える。光が当たっているところは明るく、反対側は暗い。机に落ちる影はさらに別の暗さになる。この明暗がうまくできていれば、色数が少なくても立体らしく見えてくる。
風景も同じだ。遠くにある山は明るく淡く、手前にある木は濃く見える。建物の壁には日の当たる面と影になる面があり、水面にも光っているところと沈んで見えるところがある。
色鉛筆画では、いきなり濃い色を置くのではなく、最初にこうした大きな明暗を薄くつくっていく。ここで形がうまく取れていないと、そのあと何色重ねてもなかなかリアルには見えてこない。
リアルな絵というと細部をどこまで描くかに目が行きがちだが、その前にある大きな光と影の方が、実はずっと重要だったりする。
一色で塗らない。薄い色を何度も重ねる。
色鉛筆画を近くで見ると、ひとつの場所に何色も使われていることが分かる。
海なら青だけではない。少し緑を入れたり、影の部分に紫やグレーを重ねたりする。木の葉も緑一本ではなく、黄色や茶色、青みのある色を加える。人の肌にしても、いわゆる「肌色」を一本塗れば終わり、ということはない。
色鉛筆は、絵の具のようにパレットの上で混ぜることができない。その代わり、紙の上で色を重ねる。
薄く青を塗り、その上から別の青を入れる。さらにグレーを重ねる。少し赤を足してみる。一本一本の色は変わらなくても、重なったところには箱の中にはない色ができる。
ここで大事なのが、最初から強く塗り込まないこと。筆圧をかけて紙の目を埋めてしまうと、その上に別の色を重ねにくくなる。はじめは薄く、何度か往復しながら少しずつ濃くしていく。
リアルな色鉛筆画ほど、完成したときには見えなくなってしまう色がたくさん入っている。最終的には青く見える海の下に、緑や紫や茶色が隠れている。料理でいうなら、表からは分からない下味のようなものである。
全部を描けば、リアルになるわけではない。
写真のような絵と聞くと、毛一本、葉っぱ一枚まで細かく描いているように思う。でも実際には、画面のすべてを同じ密度で描くと、かえって不自然になることがある。
人間の目は、一度に風景のすべてを細かく見ているわけではない。見ている場所には情報が多く、その周辺は意外と曖昧だ。
だから色鉛筆画でも、主役になるところはしっかり描き、遠くの景色や影になっている部分は少し省略する。葉っぱが100枚見えているからといって、100枚すべての輪郭を描く必要はない。何枚かを丁寧に描き、残りは色や形のまとまりとして見せる方が、木らしく見えることもある。
水面も一本一本の波を描くのではなく、光が当たっている場所だけを拾った方が水らしくなる。古い建物なら、壁のすべての傷を描くより、目につく数か所だけを入れた方が質感が伝わりやすい。
リアルに描くことは、見えたものを全部写すことではない。どこを残せば、そのものらしく見えるかを選ぶことでもある。
この「省略」ができると、色鉛筆画は急に写真のコピーではなく、絵として見えてくる。
写真そっくり、だけがゴールではない。
琴平文具店の「四国の風景」では、伊吹島のいりこ漁や琴平の金倉川、夏の宇和島、瀬戸内海の夕景を色鉛筆で描いている。
こうした絵を見ると、最初は「写真みたいだ」と思うかもしれない。細かな建物や船、水面の反射まで描かれているからだ。
でも、写真と並べて見れば当然同じではない。
実際の風景にはもっと多くの情報があるし、光も雲も水面も一瞬ごとに変わる。その中から必要な色を選び、目立たせたいものを残し、不要なものを省いて一枚にしていく。写真がその瞬間を記録するものだとすれば、絵には描き手がどう見たかがもう少し強く入ってくる。
だから、「写真みたいに描ける」というのは、色鉛筆画のおもしろさの入口ではあっても、ゴールではない。
むしろ少し近づいて、鉛筆の線が残っているところや、何色も重なったところを見る方がおもしろい。遠目では一色に見えた海に、いくつもの青や緑が入っている。写真では滑らかだった空に、細かな筆跡が残っている。
写真のように見えるのに、近づけばちゃんと絵である。
その間を行ったり来たりできるところに、色鉛筆画らしさがある。