旅先でポストカードを買う。

美術館のミュージアムショップ、駅の売店、町の文具店。写真のものもあれば、イラストのものもある。いくつか並んだ中から、「これがこの町っぽいな」と思う一枚を選ぶ。

ここまでは、よくある旅の風景だ。

ただ、その一枚を誰かに送ろうと思うと、少し話が変わる。いまなら旅先で見た景色は、その場でスマートフォンから送ることができる。海でも、料理でも、町並みでも、何枚でも。相手が見たかどうかまで分かる。

それに比べると、ポストカードはずいぶん遠回りだ。住所を書いて、切手を貼って、ポストに入れる。届くのはたぶん、自分が次の町へ移動したあとか、旅を終えて家に帰ったあと。

便利かどうかでいえば、もちろん便利ではない。

それでも旅先でポストカードを見ると、ときどき誰かの顔が浮かぶ。

ポストカードのおもしろさは、そのあたりにある気がする。

旅先でしか書かない、三行がある。

ポストカードの裏側は、それほど広くない。

長い近況報告を書くには狭いし、旅行記を書くにはもっと狭い。だから、書かれる内容も自然と短くなる。

「宇和島に来ています。思ったより暑いです。鯛めしがおいしかった。」

文章として見れば、それほど大したことは書いていない。

でも、旅先から届いた葉書なら、それで十分だったりする。

天気のこと。昼に食べたもの。ホテルの窓から見えた景色。商店街で見つけた店。フェリーのデッキが思ったより寒かったこと。

SNSに投稿するほどではないし、わざわざメッセージで報告するほどでもない。そんな小さな出来事が、ポストカードにはよく似合う。

旅について上手に説明しなくてもいい。「ここに来たら、なんとなくあなたを思い出した」。一枚の葉書には、それくらいの軽さがある。

だからだろうか。昔のポストカードを読み返すと、観光地の説明よりも、「雨でした」とか「駅前のうどんがおいしかった」とか、そういう一行の方がおもしろかったりする。

写真を送ることと、一枚を選ぶこと。

旅の記録なら、スマートフォンの方が圧倒的に優秀だ。

何枚でも撮れるし、動画も残せる。位置情報や撮影した時間まで記録される。あとから検索もできる。

ポストカードには、基本的に一枚しかない。

だから、選ぶ。

有名な観光地の写真がいいのか。自分が歩いた町の雰囲気に近いものがいいのか。写真より、絵の方がその土地らしく感じることもある。

琴平文具店でつくった「四国の風景」も、そんな一枚になればと思ってつくった。

伊吹島のいりこ漁、琴平の金倉川、夏の宇和島、瀬戸内海の夕景。

いわゆる観光名所を集めたものではない。四国を歩いていると出会う、少し気になる風景を色鉛筆で描いている。

写真なら、もっと正確に記録できる。空の色も、船の形も、建物の細部も、その瞬間のまま残せる。

色鉛筆で描くと、一度ばらして、もう一度組み立てることになる。どの青を使うのか。どこまで描くのか。何を残すのか。

だから出来上がった一枚には、場所そのものだけではなく、その風景をどう見たかが少し混ざる。

旅先でポストカードを選ぶという行為も、それと少し似ている。

何十枚もある写真の代わりに、「この一枚」を選ぶ。

届くまでの時間も、たぶん中身のひとつ。

ポストカードには、もうひとつ不便なところがある。

遅い。

ポストに入れてから、相手の郵便受けに届くまでには時間がかかる。場合によっては、自分の方が先に旅から帰っている。

それでも、急いでいないことを伝えるには、この遅さがちょうどいい。

今どこにいるかを知らせるなら、メッセージを送ればいい。約束を決めるなら電話の方が早い。

ポストカードが運ぶのは、そういう用事ではない。

「この場所で、あなたのことを少し思い出した」。たぶん、そのくらいのことである。

受け取る側にも、少し変わった時間ができる。

請求書や案内状と一緒に届いた郵便の中に、見慣れない絵や写真が一枚ある。裏返すと、知っている字で数行書いてある。

読んだら、それで役目は終わっているはずなのに、なんとなく机に置いておく。棚に立てておく。気づけば数か月そのままになっている。

デジタルの写真とは違って、紙は置いた場所に残る。

便利ではないけれど、この少し面倒な残り方も、ポストカードの性格なのだと思う。

一枚の風景から、話がはじまる。

琴平文具店に立っていると、ポストカードが会話のきっかけになることがある。

「これ、どこですか」

「伊吹島です。いりこの島なんですよ」

そこから島の話になったり、瀬戸内海の話になったりする。「宇和島に行ったことがあります」と旅の話をしてくれる人もいれば、「琴平にこんな川があるんですね」と、店を出たあと実際に歩いてみる人もいる。

一枚のポストカードには、それほどたくさんの情報が書かれているわけではない。

でも、その風景の後ろには、場所の名前があり、そこで暮らす人がいて、食べものがあり、仕事があり、誰かの旅の記憶がある。

僕らが「四国の風景」をつくっているのも、その入り口をつくりたいからだ。

四国を紹介するなら、観光ガイドをつくる方法もある。おすすめの場所をまとめることもできる。でも、僕らがやりたいのは、四国のことを全部説明することではない。

一枚の絵を見て、「ここはどこだろう」と誰かが聞く。

そこから少し話をする。

伊吹島のいりこのこと。宇和島の夏のこと。琴平の町を流れる金倉川のこと。夕方の瀬戸内海が、日によってまったく違う色になること。

お店で話してもいい。旅から帰ったあと、机に飾った一枚を見た人と話してもいい。誰かに送った先で、「この景色どこ?」と、また別の会話が始まってもいい。

僕らにとってポストカードは、風景を小さくして持ち帰るためのものだけではない。

一枚の風景が、誰かと何かを話すきっかけになる。

その会話の中に、四国の話が少しずつ増えていく。

「四国の風景」が、そんな一枚になればいいと思っている。